開発者のプロフィール
開発者の学歴・職歴
エイズウイルスHIV-1の発見でノーベル賞(生理医学部門)を受賞したパスツール研究所(パリ)のバレシヌシ教授とエイズ治療薬を共同で開発。
伊藤 隼夫
いとう としお
出生地;北海道・函館市
日本での学歴;早稲田大学政経学部
在学中の留学先;マドリード大学(西)、バルセロナ大学(西)、ブザンソン大学(仏)、ケンブリッジ大学(英)
海外での研究活動;パリ大学第六校医学部でエイズ・ワクチンの共同研究。国立パスツール研究所(パリ)にてエイズ治療薬の共同研究。
職歴、研究
23歳、富士通入社・営業部
25歳、富士通コンピュータサロン・マネージャー(霞が関ビル)
26歳、富士通の営業管理部、海外事業部、コンピュータサロン・マネージャーの3部署兼務。
28歳、富士通初の海外駐在所長(マドリード事務所)
30歳、 富士通初(世界初)の超大型コンピュータ (M-190)1~4号機を海外(スペイン電電公社)に導入。
30歳、富士通初の海外合弁会社を設立(富士通、スペイン工業省、スペイン電電公社の3組織合弁会社)。
32歳、富士通初のコンピュータ海外工場(スペイン、マラガ市)の設立。
35歳、富士通(本社)を退職。
36歳、シティバンクに入行(リース営業部長)。
37歳、米国ゼネラルモーターズ社、米国フォード社の各コンピュータ本部に、IBM超大型コンピュータをリースで導入。
40歳、シティバンクを退職。
40歳、独立してヨーロッパにリース会社を設立。
46歳、フランスのソシエテ・ゼネラル銀行にリース会社を売却(M&A)。
46歳、パリ大学医学部第6校バリ大学医学部第6校(ピエール・マリーキューリ大学)基礎医学部のザグリ教授研究室に所属、エイズ・ワクチン研究に参画。
48歳、同大学にて「人の細胞の水チャネル理論」の発見者・米国アグレ教授(ノーベル化学賞受賞者)の研究に入る。
49歳、パスツール研究所(パリ)のバレシヌシ教授(ノーベル医学賞受賞者)と供にエイズ治療薬の共同研究に入る。
50歳、日本に帰る。木の細胞の水チャネル理論の研究に入る。
54歳、「人の細胞の水チャネル理論」を木に応用して、「木で木を乾燥させる世界初のバイオ乾燥技術」を完成。日本にてバイオ乾燥機の製造販売を始める。
61歳、スギ(厚さ(10mm)の世界最薄厚の「不燃木材」に対し、国交大臣認定書を日本の企業で初めて取得。大臣認定番号;NM-1145を得る。
63歳、スギとヒノキ(厚さ12mm~50mm)の厚さの「不燃木材」に対し、国交大臣認定書を取得。認定番号;NM-1700(桧)と、NM-1703(杉)を得る。
65歳、社名を日本不燃木材(株)に変更。
66歳、日本初の「強靭化木材」(防腐・防虫・防割・不燃)を宮内庁・皇居に納入。
67歳、日本不燃木材(株)「不燃木材+強靭化木材」が大型建造物に採用され始める。東大寺、浜離宮、(世界最古の株式会社)金剛組などに。
68歳、バイオ乾燥材が大型建造物に採用され始めた(歌舞伎座、東大寺、浜離宮、厳島神社、出雲大社、国立劇場などの国宝建造物、世界遺産などに。
69歳、会社を日本強靭化木材(株)と「バイオ乾燥機(株)に2分割。
69歳、自由民主党の国土強靭化総合調査会にて、「国土強靭化と世界初の森林ゲノム研究」を発表。単行本・国土強靭化「日本を強くしなやかに」<その3>に掲載される。
71歳、バイオ乾燥材が、すみだ北斎美術館、小泉八雲記念館などの全国の博物館、美術館に納入される。
73歳、バイオ乾燥機と強靭化木材の最先端技術研究のため、北軽井沢に研究所をオープン。
73歳、カナダにバイオ乾燥機・大型4台を導入。
74歳、斎藤健・農林水産大臣を訪問し、陳述書を渡す。
74歳、ニューヨークの国連本部にて、地球レベルの森林火災・消滅危機、酸素激減問題を専門家と協議。
76歳、細胞を一切破壊しないで、35℃の低温で木材の含水率〇%技術を完成(世界初)。
77歳、宮城県、秋田県、福井県、福岡県などで、含水率〇%乾燥木材の本格的生産に入った。材種は針葉樹・広葉樹を問わない。
77歳、木製楽器の含水率〇%の注文が殺到、多種の楽器製造に含水率〇%乾燥技術が始まる。
77歳、佐賀市の山口新建木材センターをバイオ乾燥機の不法な建造コピーに対して、東京地方裁判所に提訴した。
78歳、東京地裁により弊社の請求をいづれも棄却された。弊社は東京地裁の判決に対して直ちに高等裁判所に上告した。
78歳、国産の「野球バット」木材への含水率〇%~5%乾燥が始まった。割れない、折れないで数十年の長期使用が可能。今までにない低コストの世界初の野球バットが生産可能となった。
78歳、早生桐5~8年樹を使用して、地球の酸素激減防止の研究が始まった。
79歳、「(知的財産)高等裁判所」は、「東京地方裁判所」の結審をくつがえし、被控訴人の山口新建木材センターに対して、「木で木を乾燥する木材用低温乾燥機を製造してはならない。」、「木で木を乾燥するという文言を用いてはならない。その他」;との厳しい判決がなされた。
79歳、強靭化木材とバイオ乾燥材のアジア、ヨーロッパへの輸出活動が始まった。
79歳、将来、東京大震災や南海トラフなどの巨大火災・震災に襲われても、各々の家の外壁に耐火不燃布を貼っておくだけで市街地火災を防ぎ、「人の命を守る」超安価な耐火不燃布」を開発。
79歳、巨大地震が発生した場合の火災旋風に遭遇し、巨大地震で家具などが崩壊して倒れてきても「人の命を守る強靭木製テーブル」の下に逃げ込むだけで、家族の全員の命を守る「超安価な強靭化テーブル」を開発。
80歳、現在(2024年)、岸田総理大臣が我が国の社会問題とされている「スギ花粉症」解決に協力して、3.11 東日本大震災時に放射能汚染を吸収させることに成功した「電気のいらないクーラー」を用いて、「スギ花粉症」の飛散軽減(スギ花粉・吸収可能な移動式棚)の試作を始めた。
パリ大学(第6校)での研究時代」
- 当社代表の伊藤隼夫は、1999年からパリ大学第6校(ピエール&マリーキューリー大学)医学部にてエイズ・ワクチンの開発グループに参画した。写真は右が研究部長のダニエル・ザグリ教授(免疫細胞のナチュラル・キラー細胞の発見者)で、左が伊藤隼夫です。
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エイズ・ワクチンの開発と論文
- 当社代表の伊藤隼夫は、エイズ・ワクチンの開発に向けた論文を、慶応義塾大学医学部分子生物学の清水信義教授(当時)と発表。
ヒトゲノム研究の清水信義名誉教授と「樹木の三倍体」の共同研究。
浜離宮・松の茶屋復元工事の現場にて。
マレーシア国立森林研究所にて熱帯広葉樹の研究に。
東大寺の現場にて。
浜離宮・松の茶屋完成時に。(開発者の伊藤は右端)
東日本大震災、巨大津波の2週間後に被災地を視察。
電気がない無人の町々。
初夏に入って入居が可能になった仮設住宅。しかし電気がないためクーラーも無い蒸し暑い夏が始まった。伊藤は、ここで「電気のいらないクーラー」をし発明し、3000台を製造し被災地に寄付した。
被災者もボランティアも一緒になって「電気のいらないクーラー」の製作が始まった。町々の被災地を訪問して、みんなの力で被災地現場にて設置して歩いた。
東日本大震災の被災地では誰もが「電気のいらないクーラー」の製作に力を貸した。開発者は左から2人目。6月から9月まで続いた。
福島県の看護学校に「電気のいらないクーラー」を納入。
浜離宮松の茶屋にバイオ乾燥材を収めた仲間たちと一緒に。開発者は真ん中。
バイオ乾燥材が採用された国宝・鶴林寺(聖徳太子建立)の現場にて。
石川県白山周辺のブナ林や各種広葉樹を研究。
樹齢1300年と言われている日本最大の栃ノ木。